【天然記念物訪問記録#001】玄武洞

天然記念物訪問記録
岩壁をうねる六角形の石柱を、亀の甲に蛇が巻き付く玄武に喩えたそのセンス

城崎温泉ノ南方約三キロメートルナル圓山川ノ右岸山脚ニアリ著名ナル洞窟ニシテソノ上下左右共ニ四角乃至八角(五角六角最モ多シ)ノ柱状節理ヲナセル玄武岩ヨリ成リ柱ノ直径ハ〇.三メートルヨリ〇.六メートルニ及ブ柱ニハ横断裂理ノ発達セルアリ裂理間ノ幅〇.一メートルヨリ〇.二五メートルニ及ベリ岩石ノ多少風化セル部分ニ於テ裂理殊ニ明暸ナリ斯ク横断裂理ノ著シク発達セルハ本洞ノ特色トスル所ニシテ他ニ多ク其ノ類例ヲ見ズ加フルニ本洞ハ紫野栗山曽テ之ヲ玄武洞ト命名シテ洞名ヲ石柱ニ刻セシヨリ漸リソノ名ヲ知ラレ後岩石名「バサルト」ヲ翻譯スルニ當リ洞ノ名ヲトリテ玄武岩トナシ一般ニ襲用スルニ至レリ

城崎温泉の南方約三キロメートルにあたる圓山川の右岸山脚にある著名な洞窟であって、その上下左右共に四角から八角(五角、六角が最も多い)の柱状節理をなす玄武岩からできている。柱の直径は 0.3 m から0.6 m に及び、柱には横断裂理が発達するものがあって、裂理間の幅は 0.1 m から 0.25 m に及ぶ。岩石が多少風化した部分において、裂理は特に明暸である。このように横断裂理が著しく発達しているのは本洞の特色とする所であって、他に類例は少ない。加えて本洞は、紫野栗山がかつて玄武洞と命名して、洞名を石柱に刻んだことによって次第にその名を知られるようになり、後に岩石名「バサルト (basalt)」を翻訳するにあたって、洞の名をとって玄武岩とし、一般に用いられるようになった。(筆者口語訳)

(文化庁 国指定文化財等データベースより引用)

所在地

兵庫県豊岡市赤石

訪問難易度

★☆☆☆☆
観光地です。鉄道での訪問も可能ですが渡し船で川を渡る必要あり。

訪問記録

2023年4月30日

 玄武洞と言えば言わずと知れた(?)、玄武岩の名前の元となった洞窟です。前々から行きたいとは思いつつ、なかなか山陰の方に行く機会が作れていなかったのですが、GWで山陰に行った際についに訪問できました。

迫力。

 駐車場から数分歩いて入口に向かって階段を上っていくと、もうすでに柱状節理の岩壁が見えてきます。そして入口を通過すると真正面にどーんと二つ大穴が出迎えてくれました。インパクトがすごい。玄武岩らしく黒い、うねるような柱状節理はどこか生き物のような有機的な印象を与えます。柱状節理とは、このような岩の柱状の割れのことを指し、溶岩の表面が急冷された際にできたひび割れが、やがて全体が固まるうちに内部まで割れが進行して形成されます。自然にこんな人工っぽい形ができるのが面白くて好きで、天然記念物に指定されたものも含め色々と見回っているのですが、柱状節理の岩壁を見上げた経験はないのでここは新鮮です。

柱状節理は冷却された表面に対して垂直に割れていくので、左の壁部分と右の壁、天井部分で別々に形成されたのでしょう。

 上の写真は向かって左側の洞窟。特に左の壁は上下に伸びる石柱が 20cm くらいで細かく割れ、土嚢を積み重ねたようになっています。これが横断裂理でしょうか。ここまできれいに割れてるのは確かにあんまり見たことがない気がします。
 さて、ここにはメインの玄武洞の周辺にも四神の名が付いた小規模な洞窟がいくつかあり、それぞれ違った表情が楽しめます。

水が溜まっており神秘的な南朱雀洞
白虎洞。これは洞窟と言っていいのでしょうか。柱状節理はきれいですが

 正直、玄武洞がインパクト大きすぎるので、周りの洞窟は「ほーん…」となってしまうといえばそうなのですが、柱状節理フリークのみなさんはぜひ全制覇してみてください。フリークでないとしたら、玄武洞向かって右側にある青龍洞は行ってみてください。水辺と節理の岩壁が綺麗です。

解説

 洞窟が形成されるには、何かしら原因が必要です。例えば鍾乳洞なら雨水による浸食、海蝕洞なら波による浸食、溶岩洞窟の場合は溶岩流で穴が形成されてしまうので若干異なりますが。一方で柱状節理の場合は、溶岩洞窟が形成されるような状況とは思えず、かといって浸食するようなものも見当たらず、どうやって形成されたんだろう…と現地で考えていたのですが、公式サイトやパンフレットを見返したら「江戸時代には採石場として利用されてきました」とばっちり書いてありました。人工的な作用による洞窟でした。たしかに、天然に既に切り出されているわけですし、すぐ近くに川が流れているのでこんなに採石に向いた場所はないかもしれません。天の恵み…というよりは地の恵みですね。

 玄武洞の地質的に面白いポイントとしては、これまで紹介してきた見事な柱状節理や、玄武岩の名前の由来になったことに加えて、地磁気逆転説発表のきっかけとなったことが挙げられます。地球は大きな磁石であり、いわゆる地磁気を持っていることはご存じかと思われますが、実は地球のS極とN極はちょくちょく入れ替わっているのです。ちょくちょくと言っても数十万年~数百万年のスパンですが。
 玄武洞周辺の玄武岩は180万年前から78万年前の、新生代 第四紀 更新世 カラブリアン期に形成されました。そしてこのカラブリアン期では地球のS極とN極が反転していた、と気が付いたのが京都帝国大学の松山基範博士です。溶岩や堆積岩には、それができた時代の地球磁場の向きが残留磁化として残ります。博士は玄武洞の岩石の残留磁化の向きが現在の地球磁場の向きと逆であることに気付き、東アジア各地の岩石の残留磁化を測定することで、1929年に地球磁場の反転説を唱えました。その功績を称え、258万年前から77万年前の地磁気が逆転していた時代は”松山逆磁極期”と名付けられています。松山逆磁極期の終わった77万年前以来、地磁気の逆転は起きていません。ちなみに、この77万年前の地磁気の逆転を示す地層が千葉県にあり、そちらも天然記念物に指定されています(養老川流域田淵の地磁気逆転地層、2018年指定)。
 

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